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塾講師の新たな展開

昇進や賃金上昇がほとんど認められないとしたら、解雇されない程度に仕事をすることである。
つまり、職能資格制度による「年功」昇進は、企業にとって昇進競争のための必要なコストなのである。
とはいえ、近年、新規採用の抑制と高度成長期末期の大量採用組の年齢上昇にともない、従業員の平均年齢が急激に上昇している。
これにともない、このコストが膨大になってきたわけである。
さて、今後、定期採用が減少し、労働移動も高まるとすれば、また、もし五月雨式に社員が入社し、退職していけば、彼らにとっての競争者は明確ではなくなるだろう。
会社の誰と競争するのであろうか。
同じ年齢の人?同じ学歴の人?同じ年に入社した人?いや、会社のはかの社員すべてだというかもしれない。
しかし、それではあまりに競争集団が大きすぎて、どう競争したらよいのかわからない。
それはいろいろな人が途中から参加し、途中でゴールするマラソンのようなものかもしれない。
なるほど、自分が「成功」するために懸命に働く人はいる。
しかし、日本人の多数がそうだとはとても思えない。
競争するには、競争集団の範囲の明確化が必要なのである。
数名から数十名のなかでの競争は、トップ集団、中間集団、おくれ集団それぞれにインパクトを与える。
かりに構成比を二対六対二としよう。
トップ集団は誰が出世頭なのかを競う。
中間集団は数が最も多いだけに企業全体で最も重要な集団であり、おくれ集団とならないためにがんばる。
「人並みであること」が彼らを競争に駆り立てる。
トップ集団だけががんばっても、あとの八割の従業員がやる気を失っている企業がうまくいくわけがない。
むしろ、そうした場合にはトップ集団が企業を見捨てて転社するか、彼らも覇気のない多数派に迎合するかのいずれかになりがちである。
また、おくれ集団は必ずいる。
しかし、彼らもそれなりにがんばる。
低い評価であっても、真面目でさえあれば、企業は彼らにそれほど冷たくはない。
こうしたなかで企業は従業員の高いモラールが維持できる(7)。
この同期入社著聞の兢争は、ふつうの職場内競争よりも、はるかに優れている。
なぜならば、職場内競争は、同僚の間での足の引っ張り合いとなりがちであり、職場内協力を痛めつけてしまう可能性があるが、職場を超えた競争は、それぞれの個人ががんばることが、企業にとっては、相乗効果のみを意味するからである。
もちろん、競争の単位が個人ではなく職場であることも少なくない。
職場同士の競い合いである。
ただ、それぞれの職場が同じ条件であれば職場間競争ができるが、そうしたケースは限られる。
職場間競争には職場単位の成果配分が使われることが多い。
話を個人単位にもどそう。
個人単位で職場内競争が有効なケースもないわけではない。
評価の指標が明確にある場合である。
たとえば、保険の外交員や自動車販売営業、タクシー運転手などの成果主義は幾能する。
個人の売上げという明確な指標があるからである。
彼らには従来から「歩合制」と呼ばれてきた賃金部分がある。
さて、職場内昇進競争が繰り広げられてしまえば、事態は深刻となる。
同僚の失敗が自分の相対的な評価アップにつながる。
しかし、それでは職場が一致団結して企業業績を上げようとするチームワークが損なわれてしまうだろう。
また、職場内競争が比較的容易な自動車販売営業であっても、完全歩合制とはなっていない。
最低賃金制度など法的制限もあるが、それよりも多くの営業では、単にその場しのぎで売ればよいというものではない。
会社の「借用・ブランド」の確保が必要であり、とくに耐久消費財ではアフターサービスが重要で瑠ある。
これに手を抜く企業は生き残れない。
経営者としては従業員がそうしたことをしないようにイソセソティブをつけなければならない。
モラルを確保することが必要である。
さて、この職能資格制度は、きびしい企業環境のなかで維持することがむつかしくなっている。
いうまでもなく、人件費圧力が、こうした人々を競争に駆り立てるシステムをむつかしくしているからである。
成果主義が競争を弱める?能力主義から成果主義への動きが急である。
成果主義の意図は成果に応じた処遇をおこなうことで社員のやる気を出させようということである。
したがって、個人間競争を強めることが意図されている-というわけである。
しかし、こうした成果主義は実は競争を弱める可能性を秘めている。
たとえば、準拠集団としての同期入社組がいなくなれば、競争相手はいない。
そのとき、どの程度のやる気が出るだろうか。
もちろん、野心あふれる人はいつでもいるし、そうした人にとってはすはらしい制度であり、やる気も出る。
だが、社員全員が野心的な人であるわけではないし、またそういう人だけを集めては、持続する企業としては非効率になる可能性がある。
個人の野心ばかりを追求するからである。
よく経営者は「野心的な人材を求める」というが、リーダーしかいない組織、経営者しかいない組織、野心的な人しかいない組織は、持続的な企業としては成立しないだろう。
あるとすれば、起業家を輩出する組織、組織というよりも出会いの場であろう。
さほど野心的ではない多くの人は、成果主義のなかで、競争の準拠集団としての同期入社組を見失い、出世競争するイソセソティブの一部をなくしてしまう。
つまり、経営者の思いとは違って、成果主義は個人間競争を弱める可能性があるわけである。
もちろん、多くの会社員が「会社人間」として批判されることの多い状況をみれば、これが良いことなのか悪いことなのかは個人の価値意識によるが。
さて、こうした可能性以外にも、成果主義が競争を弱めるかもしれない理由がある。
つまり、成果主義が人件費削減を第一目口的とし、「優秀な」少数者だけを昇進させ、おくれ集団を切り捨てようとするときに発生する。
そのときには、同期の八割が昇進するシステムではなく、一部の人たちだけが昇進する。
だとすれば、多くの社員がどうして無理をしてまで昇進しょうとするだろうか。
先ほど言ったように、一〇人のうち一人あるいは二人しか昇進しなくなれば、多くの人はそこそこ働こうとするだろう。
こうした傾向が現れる可能性は低くない。
これも良いのか悪いのかは立場によって異なるだろう。
キャリア意識が弱まってしまうことは避けたいが、がむしゃらに昇進競争する生き方が艮いとも言い切れないからである。
なお、成果主義でも、みんなが成果をあげれば、結果として八割、あるいは全員が昇進することはありうる。
こうした優良企業も存在する。
ただ、それでは現在の多くの企業を動かしている人件費削減を目的とした成果主義は成り立たなくなる。
こうしてみると、成果主義は多様な正社員を容認しうることがわかる。
年功主義のもとでは、比較的高い処遇が企業にも個人にも強い圧力として機能していたが、その圧力が低下する。
競争の準拠集団が曖昧化し、多数が昇進しなくなり、賃金も上がらなくなれば、企業意識・競争意識は弱まる。
ただ、現在の不況局面では、ムチとしての不安定化した雇用が、彼らを生き残りのために、働かざるをえなくさせている。
みんなが昇進したいと思っているのかそもそも、本当に多くの人々は昇進したいと思っているのだろうか。
『構造調整下の人事処遇制度と職業意識に関する調査』(一九九八年)の勤労者調査によれば、六〇・七%が「管理・監督職のポストにつけなくても構わない」と回答している。
理由としては、「管理職の仕事に魅力がないから」が最も多く全体では三一・三%を占めており、「責任が重くなるから」(一五・二%)、「今の仕事に満足しているから」(一三・三%)がこれに続く。

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